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 ある時、横浜にある有名な紅茶専門店で、上半分はグレープフルーツジュース、下半分は紅茶となっているグレープフルーツティに出会いました。ストローでまぜて頂くのですが、グレープフルーツフレイバーのさわやかな紅茶でした。
 この味ががリキュールで再現できればと思い、世界中から紅茶リキュールを取り寄せて、グレープフルーツジュースと混ぜて試してみましたが、どれも自分が満足行く味には辿り着きませんでした。世界中探しても無かったので、僕が自分で作ろうと決断したのです。結果として出来上がったのが、茶葉からこだわりぬいた世界最高峰の紅茶リキュールでした。



 僕が31歳の時にオープンした3軒目のバー『GRAND MASTER』。完全会員制で、住宅街の中にある看板の無いバーです。このバーの名前の由来は、ホテルなどにあるグランドマスターキーです。グランドマスターキーはすべての部屋のカギを開けることが可能なカギです。私は『GRAND MASTER』にいらしたお客様の心のカギをお空けすることをお手伝いさせて頂いています。
 バーにいらしたお客様が、リラックスをしていただいたり、新たな仕事の活力を発見して頂いたり、友人と友情を温めたりなど、様々なシーンを支える一つのアイテムとしてご活用頂いています。





 モンドバーを卒業した後に、下北沢のレブル、二子玉川のアーリーボストンクラブの二軒のバーで自分の腕を磨いていました。その最中、1993年に第一回TVチャンピオン、バーテンダー選手権に優勝して、日本一の称号を頂きました。当時僕は25歳。
 それからは、自分の腕もさることながら、店の経営にも意識を向けた部下の教育や、運転資金についてもよく考えて仕事をするようになっていました。下記でお話しします10000日目の前、27歳の誕生日の直前にバーの賃貸借契約を締結し、自分のバーを開くことができました。バーのオープンまで出前で食いつなぐなど、苦しいこともありましたがバーがオープンしてからは連日満員の大盛況で、12坪の店で600万円の月商を記録した月もありました。



ジントニックは単純だからこそ、バーテンダーの腕の違いがでてきます。クレードルを辞めた後、僕は銀座モンドバーに入店しました。今思い出しても、最も自分にとってきつい1年でしたが、この1年の間に、諸先輩方の気配りや技術を眼で盗み、カクテルの技術やお酒に関する知識を体得していきました。ジントニックは、ライムひとつひとつで味が違います。その日のライムの状況を考えながら、材料の量を調節していきます。『GRAND MASTER』に来店して、僕の作ったジントニックを飲んで、その後の生き方を変えようと決意したお客様もいらっしゃいました。自分の魂が伝わった気がして、とても嬉しいと思った一方、責任も重大だと思った一瞬でした。




 バーテンダーを目指して最初に入店したのが六本木のクレードルというレストランバーでした。ここでは、バーテンダーとしての基本より、料理人として基本を学びました。常連さんに料理を作っては突っ返され、作っては突っ返されの繰り返しをしているうちに、料理の腕を上げました。ここで学んだソース作りの技術は、今もカクテルを作る感性に生きています。
 ある時、常連のお客様がアメリカのおみやげといって、『30000日カレンダー』を持ってこられました。10000日のカレンダーが三枚。だいたい人の一生(82年)を表すこのカレンダーは販売後アメリカで自殺者が続出し、販売禁止になったという代物でした。
 僕はこのカレンダーの1枚目がおわるまで、27歳になるまでは一人前として独立しようとその時、固く心に誓ったのでした。




あなたの人生を豊かにする
至高の紅茶リキュール